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総合政策学部 総合政策学科

故郷の地名⑵

2019.7.10
総合政策学部教授 王元

 我が故郷安徽省臨渙鎮の地名には他の地域であまり常用とは言えない字が用いられている。ここからこの地に特有の地理的、歴史的な特徴が見えます。そのいくつかを紹介しましょう。

寨と圩
 もとは防護用の木の柵を指す「寨」が、基本的には「砦」です。故郷では「寨圩」または「圩寨」とも言います。臨渙城内にはさらに「西小圩子」という寨があり、臨渙小学校も「北寨門」の付近にある。
 「圩」は堤です。洪水を防ぐため、通常、村あるいは家屋を囲むかたちで構築される。故郷で「圩」と「寨」を区別しない傾向は、おそらく、圩と寨を合体させたことからなる現象でしょう。つまり、防洪のための「圩」の上に防衛のための木の柵を設置し、「寨」になることで一石二鳥の効果を得るのです。
 圩の建造と維持は大変な労力と財力がかかるものです。そのため、出来るだけ規模を小さく抑える必要があり、家屋、倉庫等、最重要な財産を圩内に納め、場(穀物の乾燥や脱穀に使うところ「穀場」ともいう)、牛舎、猪圏(家畜小屋)等は圩外に置かれることになります。したがって、「圩」は通常、村の中央に位置しています。圩の周辺は小作人等の家屋があります。
 また、ほとんどの「寨圩」は人口が少なく、村に当たります。ただ、最近の半世紀あまりは黄河、淮河それから澮河が皆、氾濫しなくなり、圩(堤)は重視されなくなってきました。平和な時期は当然「砦」も必要ではなくなります。

坊と園
 坊は「作坊」、旧式の小規模の工場です。臨渙の名物の一つ、胡麻油はこのような作坊で生産されます。手工制作が基本で「小磨麻油」と呼ばれています。これらの作坊は主に城内に集中しますが、家庭作坊の形で周辺の村にも点在しています。中には「園」とよぶものもあります。例えば、「醬(菜)園」。これは味噌、漬物、醤油、お酢等を作る作坊です。「坊」との違いは単に作業場だけではなく、物干しの庭園が付く為、「園」とよぶようになりました。
 園、単一作物、特に果実類を生産する農園です。この地域に黄河が運んで来た淤土(堆積土壌、例えば、黄土や砂土等)は瓜(西瓜、メロン)、果(桃、李、杏、柿、棗、梨、林檎)の栽培に適しています。

楼と閣
 「楼」とは、多重層建ての建築物を指すものですが、我が故郷の場合は基本的には二階建ての家屋、所謂「土楼」になる。故郷の地名に「楼」が多くありますが、その地は現在でもその楼を確認できるようなものはなく、昔ある時期に存在したもので、後に地名となり、残ったのかもしれません。
 長い間、故郷の「楼」といえば、天主堂(天主教の教会)神甫楼でした。これは3階建ての煉瓦構造の建築は最近まで故郷での最高峰の建築でした。少年時代の遊び場でもあり、記憶の中での大きな建物なのに、今は…これなのです。
 「閣」とは一般的「楼」の上半の部分を指します。但し、物見やぐらではなく、日本で言う「蔵」、つまり貯蔵庫です。但し、今の臨渙で地名に用いられる「閣」は特に木造寺廟建築を指します。
 小学生の時、よく今は無き「南閣」という臨渙随一の名所に行きます。臨渙集最南端高台に置き、?河に面して、煉瓦構造、臨渙城の南門として建てられていて、漢、唐、宋、明歴代の時に改築され、1975年最後に壊されたのは清代のもの。?河を臨み見る高い台地にたてられて、見当たり、風あたりの良い所でした。