英語で苦労した話二
総合政策学部准教授 立花 顕一郎
前回に引き続き、私が初めてアメリカに留学した際に経験した英語にまつわるトラブルをお話ししたいと思います。
前回はあまりアメリカの大学の授業について触れることができなかったので、まずはそのあたりからお話ししましょう。私が留学したミシガン州の州立大学の授業では先生が一方的に九十分間話し続けるということは皆無であり、その代わりに答えや結論の出にくい議題を学生にディスカッションさせるという形式が主流でした。
学生は授業中の発言回数の多さや説得力の強さに比例して出席点が付けられるので、われ先に発言を競いあうことになります。そのため、アメリカでは大学教員の悩みごとランキングの上位に「学生が授業中にしゃべりすぎる」という項目が入っているほどです。このような状況で、日本人留学生が割り込んで英語で発言するということがいかに難しいかは想像に難くないと思います。そのため、最初の一か月間、私はほとんどディスカッションに割り込むことができず、とても悔しい思いをしました。
宿題で読まされる本や資料を読むために図書館に泊まり込むことも珍しくありませんでした。一つの科目で分厚い本を一週間に二冊読んでくる(もちろんすべて英語で)という課題が出ることも珍しくないので、もしも三科目で同量の課題が出た週にはほぼ一日に一冊ずつ読まなければなりませんでした。後で知ったのですが、頻繁に課題として使われる著名な本の場合には、様々な出版社から重要な内容をまとめた要約本が発売されているのです。アメリカ人学生はそういうものを要領よく読んで週末にパーティをする余裕すらありましたが、私はそんなことも全く知らず、毎日必死で本を読み、授業中に発言すべきことをメモしていました。それでも、当時のクラスメートは私のことをとても無口なやつだと思っていたと思います。
最後は、学期末テストの思い出です。ある科目の先生から試験開始三十分前に研究室に来なさいと言われました。約束通りに研究室を訪れたところ、先生から思いがけない申し出がありました。テストは記述式で多角的な議論が必要だからお前には九十分では足りないだろう。だから、今すぐ研究室で三十分書いてから、他の学生と合流してさらに九十分書きなさいと言って下さったのです。おかげで無事に単位は取得でき、その先生には今でも心から感謝しています。言葉は違っても人情の機微は共通する点があるのです。