木の声、土の歌(10)
総合政策学部教授 秡川 信弘
華々しさばかりが脚光を浴びる御時世である。だが、見落とされがちな身近な事象に目を向けることから学ぶ意義を見出すこともあるのではないだろうか。
本学四号館の傍らを流れる小川のような水路があるのをご存じだろうか。その流れに沿って下ると謎めいた分岐点にたどり着く。一方は道路の下を通って踏み切り付近の水路につながるはずだが、もう一方の流れる先が不明であった。先日、Eサポ里山探検セミナーに参加し、その謎がようやく解けた。仙山線を伏越(ふせこし)流下し、簡易舗装された本学駐車場の地下で下流水路につながっていたと考えられるのである。
つまり、その水路は大正15年(1926年)に始まる仙山線敷設工事に際し、下流域水田に引水するために線路下を伏越施工されたのであろうが、減反政策が始まり米価が頭打ちになる1970年代以降、次第にその存在意義を失っていったものと推測される。その後、国見駅が昭和59年(1984年)に開業する。仙台駅へのアクセスが改善された下流の水田地帯が新興住宅地へと変貌していく中で、謎の水路は農業用水路としての役目を終えていったのであろう。
昭和22年(1947年)に米軍が撮影した航空写真から確認できる国見の里山景観を想起させてくれる菊地家の棚田は私にとって貴重な憩いの空間である。田植えを終えた棚田の風景はまことに清々(すがすが)しく、6月に小学生たちの自然観察会が行われる様子はかつての農村のにぎわいを思い起こされてくれる。国見駅の正面に鎮座する水路分岐はそのような物語をずっと見つめ続けてきたのだろう。
探検セミナーに学んだ私は担当科目「環境論入門」でキャンパス周辺里山の散策授業(青空講義?)を実施した。まず、棚田とため池を眺めながら裏山を登り、大学駐車場に到る。次に、里山の谷筋跡を観察し、里山の現代的利用の一例であるラピュータ国見を迂回して本学第二校地(運動公園)に到る。そこから里山景観を味わいながらランドマークのNTT鉄塔、仏舎利塔、弁財天、浄水場を回るコースであり、散策後、受講生には本学周辺の里山利用に関するプレゼンをしてもらった。
後日談であるが、伏越工法が江戸時代初期に開鑿された四谷用水の第四隧道に使われていたことを知り驚かされた。四谷用水に盥(たらい)を浮かべて遊んだ経験を持つ方から聞いた話によれば、地元(八幡町)では誰もが伏越隧道出口の「湧き上がり」を知っていたという。それにしても、四谷用水を設計した川村孫兵衛や普請奉行を務めた宇津志惣兵衛は脆弱な凝灰岩層を避けて湾曲した隧道を掘り進め、伏越工で砂礫を除去して浄水を得るという斬新なアイディアを生み出す創造力や先端技術をいかにして身に付けたのだろうか。
時あたかも四谷用水の通水復活に向けた活動が始まるという。江戸時代の自然公園ともいえる水源の里山「国見」に位置する本学は、かつての伝統的な暮らしや文化の復元を地域貢献活動のテーマの一つに組み込んでもよいのではないかと夢想する今日この頃である。