委縮した故郷の地域社会
総合政策学部教授 王 元
我が故郷臨渙(中国安徽省)は今人口一万人足らずの小さな古鎮です。人口だけで見ても、おそらく2000年前の漢代からそれほど大きな変化はありません。昔は麦の産地で鎌が有名だった。なぜ委縮かといえば、都市化の波に飲まれた感じです。一応、鉄道や道路が昔からあったが、交通の要所から外れてしまっていた、といえるのです。昔は河川だったから非常に船通りも多かったが、結局陸道をつかうようになったから、そこは、「まったく」の田舎になってしまった。
故郷は大々的に発展させて、大都市になることを望んではいないのです。問題は社会そのものが空殻になっているという、社会が委縮してしまったような感じです。つまり、人はそこにいるのですが、人口は減少し、産業も独自のものを持てなくなってしまった。どうも都市と農村をつなぐような役割しか果たしていないようなものです。例えば、建設の材料を売っているとか、村の人がここに来て買うということです。昔は人口があり、病院、学校などいろいろな施設がありました。今は小学校もあまりなく、高校はありました。また、病院が駄目になってしまった。というのは、お年よりは良い医療施設を求めて、都市に行くようになったのです。なので、鎮のような小さなところの病院は維持することができなく張ってしまった。小さい診療所のような小さな病院になってしまった。あと、そのほかの昔からのいろいろな施設があったが、今は維持することができなくなった。
大都市にはならなくてよいが、このひとつの鎮を、また歴史のある鎮を、もう始皇帝時代の前から存在していた、陳勝?呉広の一揆がありましたね、あの、最初手に入れた県は私の故郷(?)です。あのころは県でした。魏晋南北朝時代は郡でした。それからは大きな発展はなかったが、私の子供のころより昔の建物等も残ってました。しかし、今は建物ものこっていません。それが、私の故郷だけだったらまだ良いのですが、この現象は恐らく中国全体に広がってしまっています。それは大問題です。
やはり農村が空っぽになってくるということだ。中国の場合は大農制に切り替わってくる。その点でそうなるとまた変わってくるのではないか、最近は機械化で農業が大規模にやっています。農業を機械で大規模に行っている。やはり例えば機械修理とか、農産物の集積とか、修理とか、まあそれに従事する人たちが住ところとかね、そういう点がでてくるんじゃないですかね。やはり中国の農業が過渡期だということではないでしょうかね。
農村が空っぽになってしまってという時期です。平らな土地ですから、大農制の機械化には適しています。しかも、農民も自ら組織化しています。収穫のときは、機械を持っているひとは、あちこちに行き、収穫が頼まれているところに行くことになります。故郷は今は一番困難な過渡期ですね。とても時間がたってですが、良くなれば良いと願っています。