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総合政策学部 総合政策学科

間違い稽古

総合政策学部教授 三木賢治


厳冬期に受験シーズンが重なっているのはあいにくなのか、滋味あふれる天の配剤なのか、と考えている。今年も大雪に、受験生も大学も泣かされた。もっとも交通機関が乱れれば、入試の日程が順延されたり、開始時刻が繰り下げられるから、受験生が決定的なダメージを受けることはまずない。北海道では警察が雪のために遅れそうになった受験生をパトカーで受験会場まで送り届けてくれた、と美談仕立てで報じられていた。

近頃の大学は受験生に優しい。受験票を忘れても、仮受験票を発行し、トラブルがあれば、別室で時間をずらして受験させる。少子化のせいか、社会全体が子どもに失敗をさせまい、させまいと腐心しているかのようだ。

半世紀前は違った。体調が悪くても、電車やバスが止まっても、根性で這ってでも行け、と教え込まれた。万事は自分の努力と自己責任。風邪の発熱で志望校への入学をふいにした同級生を思い出す。

新聞記者時代、直木賞作家の寺内大吉こと浄土宗大本山増上寺法主だった故成田有恒さんから歌舞伎の世界の「間違い稽古」について教わった。役者が本番で科白や所作を忘れた場合に備え、うろたえたり、慌てたりしないように、予め次善の策を稽古する。

ある日、成田さんが旧知のプロ野球巨人軍の牧野茂コーチにその話をしたところ、牧野コーチは「それだっ」と膝を叩き、早速、チームの練習に取り入れた。たとえば、外野手が前方への飛球を後逸したくないと及び腰になると、守備が消極的になり、簡単にテキサスヒットを許してしまう。そこで失策を想定して、後逸したボールを誰が追いかけ、どのように送球を中継するか、といった連係プレーを練習しておく。野手は果敢に捕球を試みるようになり、ファインプレーも生まれる、という次第。巨人のV9時代の話である。

成田さんは「今の子どもは『間違い稽古』が足りないのではないか」と心配していた。受験教育の偏重で大人も子どもも内申書を意識し、合格することばかり目指すから、失敗を怖れる。いざ失敗や挫折をすると立ち上がれなくなる。教師の多くも御身大切とばかり事なかれ主義に走るから、何事も無難にこなそうと考える。だから、つまづいた少年が非行や凶悪事件を起こす……と成田さんは分析していた。

非行などはともかく、失敗を怖れていたのでは、大望が成就しないことは確かである。