地産地消と合成の誤謬
総合政策学部教授 貝山 道博
農業振興を通じて地域を活性化する有効策として、「地産地消」(地場生産?地場消費の略)活動が唱えられて久しい。地産地消とは、文字通り、地域で生産された様々な生産物をその地域内で消費することである。地産地消の考え方は農業に限ったことではない。すべての産業に通用する。
地域の需要者が他地域からものを購入せず、自地域からものを購入すれば、域外に漏れていくはずだった需要を域内に留めることができる。そうすることによって、域内生産物に対する需要が高まり、「需要が需要を呼ぶ」という好循環が生じる。地産地消活動が地域を活性化させるのは、この乗数過程を通してである。地産地消活動が地域を活性化させるためには、このように消費者の協力、他地域のものを買わずに、多少高くても(無理をして?)自地域のものを買うということもまた必要不可欠である。
このようにして、地域生産物に対する地域内需要が増えれば地域の生産活動は盛んになり、その限りでは所得も雇用も増える。しかしながら、国内のすべての地域が地産地消活動を展開したらどうなるのであろうか。かつて他の地域に買ってもらったものが買ってもらえなくなるから、地域内需要(内需)が増加する反面、地域外需要(外需)が減少してしまう。新規需要がなければ、それは需要が振り替わるだけになりかねない。
ましてや、地域の人が少々高くても買うという無理をすれば、価格が高くなった分その生産物に対する総需要は減るかもしれない(これまで安い他地域のものを買っていたが、地産地消ということで、高い自地域のものを買うことになるから)。これは地域の停滞を招く。
地産地消活動の究極の姿は、すべての地域が必要なあらゆるものを生産し、消費する鎖国(自給自足)状態である。これが効率的でないことは、アダム?スミスやリカードの時代から唱えられてきた。「分業の利益」という考え方は経済学の最も重要な成果の一つだ。地産地消は当該地域にとっては利益をもたらすかもしれないが、国全体でみれば不利益をもたらしかねない。
このように、ミクロ的には正しいことでも、それが合成されたマクロの世界では必ずしも意図しない結果が生じることを、経済学では合成の誤謬という。